こころの成り立ち

人のこころは乳児期からの母子関係を中心とした愛着形成をめぐるやりとりから発達していきます。最近では、出生以前の胎児期の母胎での状態の影響や、遺伝的な要素の影響もさかんに研究されています。その一方で、古来より、三つ子の魂百までと言われ、生まれもっているものや、乳幼児期の体験はその後の人生の基盤となることは明らかです。赤ちゃんは、お母さんなど養育者との関わりを通して、世界を体験していきます。極端ではありますが、とても幸せな満ち足りた世界と感じたり、恐ろしく不快な世界と感じたりしながら、次第にまとまりをもってきます。私たちは、様々な人と出会い関係を持ち、様々な経験をしますが、乳児期のその基盤を軸に経験が蓄積されていきます。その後の体験により基盤が修正されることもあるでしょう。しかし、今を生きる私たちのこころには子どものこころが生き続けています。何かのきっかけで、傷ついたり、怯えている自分、または怒りを抱え込んでいる自分がひょっこり顔を出すことがあるかもしれません。もしくは、何とか苦しい現実を生き延びるために、いいところだけを見て苦痛には目をそむけるかもしれません。赤ちゃんであった私たちは次第に養育者の手から離れて、自立に向かいます。それでも、子どもはまだまだ親の助けが必要です。思春期になると、別の次元で、再度親から離れて自立する動きが高まり、青年期では本格的な自立を迫られます。学校ではなく、職業や家庭という新たな社会の中での居場所を見出す必要に迫られるのです。この時、子どもの頃から愛された体験を多く持つ人は、人への信頼も強く、不安がありながらも、新たな対人関係や社会に飛び込めるでしょう。しかし、不運なことに、満足のいく愛情が得られない場合には、それが難しくなる場合もあります。実際には、このような二分法的には判断できず、愛されていないという体験も、本人の主観であり、実際は分かりませんし、その後の出会いにより変わっていく可能性も大きいです。私たちは、生まれながらの歴史を背負って生きていると言えるでしょう。それは、運命としか言いようのない場合もあるでしょう。

こころの在り方

こころについては、古くから多くの人々によって考えられてきました。土着の信仰、諸々の宗教、哲学、文学・・・。(臨床)心理学は、まだ若い学問と言えるかもしれません。ここでは、二つのこころの在り方について取り上げたいと思います。①それは、人間が進化を遂げ、社会を発展させるために必要だった力と関係がありますが、ある理念によって、こころの痛みや現実の困難さを乗り越えようとする在り方です。つまり、ある目的のために、こころの痛みは省みず、とにかく突き進むという在り方です。これは、人間にとって必要な部分ではあるでしょう。しかし、終わりのない戦争、環境問題、その他さまざまな問題へと波及します。これを、社会レベルではなく、個人レベルに戻すと、自分や相手の気持ちを大切にせず、心地よさを追求するこころと言えるでしょう。それが何故いけないと思われるかもしれませんが、このこころの在り方には、内省や物事を全体的に捉えその本質を理解すること、こころの動きに機微に目をむけて痛みを抱えていくことが含まれていません。②他方、人と楽しいだけの関係ではなく、よしあし両方を含め本当の意味で深いつながりをもてるこころの在り方があります。自分のこころの痛みを粗末にせず、相手の痛みを察し人を許せるこころをもち、しかし、必要なことは主張していくという、実直なこころの在り方です。本来はもっと複雑ですが、この二つのこころの在り方のどちらかに傾いているのかで、自分がこれからどこに向かおうとしているのかが見えてくるかもしれません。

こころの豊かさ

こころの豊かさが失われていると言われて久しいように感じます。しかし、こころが豊かな時代とはいつでしょうか。自然とのつながりを強くもっていた時代でしょうか。それとも、地域での人とのつながりが強かった時代でしょうか。確かに、現在よりも、豊かに思える時代はありそうです。文部科学省は、こころの豊かさのために、ゆとり教育を導入しました。しかし、学力低下が問題になり、見直されることになりました。これは、制度の問題ではなく、社会全体が、閉塞感をもっているためではないでしょうか。他国と比較するとよく分かるように、日本人は勤勉でコツコツと仕事をする民族のようです。それが、発展につながりましたが、多くの犠牲の上に成り立っているのも事実でしょう。現在は、癒やしという言葉に代表されるものがとても重要となってきています。これは、こころの豊かさへの回帰のこころと理解でき、自分を大切にするという視点があります。ここまでずらずらと書いてきましたが、私にとっても、こころの豊かさとは未だ分からない領域です。しかし、生き生きとしていることが要のように思えます。そして、悩めるこころを持つということも、生きていく上でとても大切だと思います。悩みぬける力や、生き生きできる力の両方を兼ね備えることがこころの豊かさにつながるのではないかと今のところは思っています。

こころと言葉

言葉について考える時、まず、言葉以前のことばを考えることが不可欠です。つまり、大人が日常で使う言葉を使う前から、表情やしぐさによって通じ合っているということです。言葉以前に非常に複雑なコミュニケーションが既に存在しています。さて、話は変わりますが、こころを言葉ですべて表すことは非常に難しいことです。しかし、私たちは、言葉でコミュニケーションをしています。また、乳児期にみられる言葉にならない非言語的なコミュニケーションもしているのです。それは、以心伝心と言われるものかもしれませんし、空気を読むということとも関連しているかもしれません。また、共感能力や察する力が必要かもしれません。そして、私たちがこころの中で悩んだり苦しんだりするある部分は、訳の分からなさや、混乱、混沌を含み、言葉ではくくれないこともあります。カウンセリングや心理療法が必要となってくるのは、この訳の分からない部分に圧倒されている時です。その訳の分からない部分には、これまで見ないようにしてきた、恐れの気持ち、怒り、悲しみ・・などの不快な感情が凝縮しており、言葉にはならない気持ちを含んでいます。具体的なアドバイスで解決できる問題と、そうはいかない問題の境目はどうもここら辺にありそうです。ある人は、その部分を「毒」とたとえ、心理療法の作用を「解毒」と表現しました。単に知的に言葉で分かるのではなく、気持ちを十分に感じつつ、そのことが腑に落ちる言葉というものが、ご自分の理解をさらに深めてくれます。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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